鬼滅の刃

鬼滅の刃では、無限列車の煉獄がとても柱の中で上位に食い込む能力を発揮します。

 

水とか炎柱とかが大体アニメの世界では強い存在で、単純に見分け方としてはそこを見るようにします。

 

そして今回は炎柱の煉獄をまさにその観点を利用してフェイクへと誘導していて、思い込みで煉獄最強説を打ち出したスタートを切りました。そして惜しいところまで攻めたけど敗北と死を味わうことで、内容が濃いくなる脚本があります。

 

煉獄は第9の型までが完成形で、要はそれが最終奥義の煉獄へつながりますが、その前にはすでに下限の鬼と戦った富岡は11の型を出しています。

 

若くてまだ将来性がある煉獄ですが、もし上限参との戦いで10の型、あるいは11の型を極めていると結果は未明だったと推測も可能な展開も見られます。

 

続く音柱の宇随ですが、彼は6の型までしか極めておらず、忍びの出身の中でも落ちこぼれの存在で、やはりそのまま6までしか極めることができなかった柱になります。弱い柱です。

 

そしてサンドトラックの残響散歌が煉獄のときよりも人気があり、一部では煉獄のシリーズにこの歌をチョイスしたいと言われる方もいますが、私個人的にはこの歌は遊郭編がふさわしいと考えています。

 

理由として初めて上限の鬼を倒したのが炭治郎、伊之助、善逸で、人間にとって新しい門出と新人の成長を賛美したような歌になるので、こちらの方がふさわしいと考えています。

 

続く、第3期は悲惨な内容で、時透無一郎ほど弱い柱はいませんね。

 

まずこのシリーズはごちゃごちゃの内容に脚本が編集され、時透の弱さが露呈しまくりです。

 

剣士の中で最強と目されていた時透ですが、結果、それを評価したのは宇随で、宇随の眼で見て剣を持って3か月で柱になった時透は、まだ若さゆえに敗北した煉獄と比較しても果たしてそれは正しいといえるでしょうか。

 

私は11の型をマスターした富岡の言葉であれば、賛同するかもしれませんが、やはり宇随の言葉通りなのか、時透は水の塊みたいなところへ閉じ込められたとき、最終的に一の型を出して脱出しました。

 

そのとき感じたのが、なぜもっと早くそれを出さないのか、ですよね。所詮、一の型のそれを出すのになぜ自問自答のシーンが要る。ビックリ。ナニコレチン百景認定。

 

自問自答のシーン、水の呼吸を使わず陽の守やぐらを使いすぎ、修行で全集中の呼吸の常駐の発展型などの修行がない、弱すぎる世界観、その弱い世界観に関わりすぎの時透、そして3か月で天才剣士へとなることで壁の文字を知らないため一の型を出す決断力すらないのか時透などなど、すべてのシーンでダメさを主張していますね。