女性検事が罠にハマる映画で、ある裁判で相手の弁護士の誘いを受けて彼の部屋へ。すると弁護士に薬を盛られて眠ってしまう。
そして目が覚めると弁護士は胸を一突きで殺されていた。
このときボストーク系の弁護士と女検事が入れ替わっています。
どうしてかというと昔でいえば、いや昔のタイプの映画シナリオなので、入れ替わらないと作品的にボロくなるからです。
弁護士の俳優はハードボイルド系などに出演があり、髪型に細工をして本人の要素を抑えていますが、本来は切れ者の俳優になります。
とりあえず、ストーリーとしてはボストーク弁護士が、女性検事に乗り移り、検事が事件を解決に導きます。
女性にしては臨機応変に素早い動作で対応する内容なので、やはりボストークが中身になります。
女性の腕にはクロスのタトゥーみたいなマークがあり、それはタトゥーにしては小さくて、しかも一つだけなのでタトゥーに見えず、しかしマーキングとして見ると分かりやすいクロスのマークがあります。
つまりボストークサインでしょうね。
視聴者用のボストークサインで、ラストにはアクションが入りますが、ガラス系統の花瓶か水差しを投げつけて気をそらすやり方は、まさにそのボストークらしい技になりました。花瓶を投げつけて気をそらして、家の2階へ銃を取りに行き、犯人が追ってきてドアを開けた瞬間に胸に一発。
普通に見えますが、この一連をきちんと一発で仕留められるのも彼でしょうね。少し主役の女性には厳しいアクションになります。
そして容疑者の男性は腕にマーキングがあり、右腕に文字が入っています。これもタトゥーのようですが、そうではなく、視聴者に対して犯人だと示したサインだと思います。
文字が大きくて文字数が多いので、視聴者で気づきやすいですが、やはり落書きのように書いた文字でタトゥーという感じでないですね。
しかしなぜ、このようなサイズで入っているかというと、内容がボロいのであえて犯人が分かりやすいように視聴者へ示されています。
ここでいうボロい内容とは、犯人へたどり着くときに、判事の家で探し物をしますが、本の中にヒントがあることにミスリードを受けていますが、実はそれが無関係のアレンジになります。
それは「ダビンチコード」とかのボロい映画と同じシナリオを使っているアレンジになります。
まずボストークがアレンジしたことは、判事の持つ本にヒントがあるとしました。例えば、桃太郎を例題にすると、川から大きな桃が流れてきて、その中から桃太郎は生まれましたが、「桃太郎は川を下った桃から生まれた」という一つの知識を使い、「桃太郎は何から生まれた」とか「桃太郎は生まれるときに桃から生まれたけど、その桃はどこにあった」などの質問があり、「桃太郎は川を下った桃から生まれた」という結論へ到達します。
これはほとんどの人が知る物語なので、本を再度読まずとも分かりますが、判事の部屋にある本は、当人たちだけが知りえます。
要は犯人の腕にある文字はその本の中にあるんじゃないでしょうか。
そしてその文字を抜きとして、当人たちだけが知りえるこの本のヒントへミスリードして、主役のボストークは最後の演出と脚本を自らが作っていますね。
要は判事の部屋は布石で、本の内容を知る犯人を誘い込み、そして本はまったく関係ないけど注意を引き付けて、そして誘い込む余裕があるので相手の銃は空砲にしていますね。スキを見つけて弾薬を抜いています。そしてこのシーンはなくて、カットしないとバレますし、このようなカットのシーンで視聴者に意味だけでラストなどに誘導する作品は山ほどあり、また今回はその空砲の断定が難しいですが、布石を解くとその段取りは構築できるのでカットで十分で、また布石に気づかないときはただの変哲のない映画で終わる細工があります。
これを考えると推測通りだと感じます。
そして「ダビンチコード」は要はこのような造りで、自らだけの知識を設けていて、そのルールを解くことを脚本している映画になり、面白くないです。
例えば、モンゴメリボールという古代のスポーツがあったとします。そのスポーツのルールや歴史などを解説するために、それの解明をする内容などの作品として売られたような本なので、トム・ハンクスとか出演者にしか内容が分からないようになっています。
だからそれを知る必要はないですね。視聴者は。
出演者の勝手な趣味とか趣向の映画なので面白くないですよ。
それと似たような映画なので、ボストークが今回アレンジを入れた内容が、「イントゥ・ザ・トラップ」になります。タイトルもそれっぽい。
ま、しかしボストークが見せ場として用いたのは推理力とかではなく、やはり布石後の自分のアクションでしょうね。作品としてその次元だと彼も感じているので、このような細工になりますよ。面白くするにはこれくらいの内容だろうな、そんな意思が見えます。