そろそろ手札を切ります

まずは三郎兵衛。不識庵を投入。

 

今のところ守りとして必要な手段はなく、ときすでにそれは整っていて、次の手はかく乱と攻撃になります。

 

相手に見える位置に三郎兵衛を配備して、それと同時、あるいはそれを追い越すように不識庵が浸食します。

 

強いか弱いか分からない世界観の不識庵。その名前の意味を知ったときに、こちらの罠にかかっていることすら気づかせない存在で、その名前を忘れてしまい、恐ろしい呪縛が加わることになります。

 

徳栄軒の部隊の中では並、やや重要度のある三郎兵衛が不識庵の次に攻撃へ移ります。

 

それだけで今のそちらの戦力は激減すると私は把握しています。

 

その後にまた不識庵が追手として立ちはだかり、龍神としての建前もある不識庵の前に斬首がやむを得ない状態へ堕ちることを宣言できるでしょう。

 

毒殺、暗殺未遂、暗殺、周りに強くても自分の家で命を取られるような始末では、弱いともいえる不識庵

 

それは本当に病か、こちらはそれを疑い、私は本多平八郎忠勝の主の次郎三郎へ監視、観測を命令していました。

 

広島には治部少輔、陸奥守の存在が関わり、末五郎晴賢を貶めた作戦を把握するには、実は近代戦争にもヒントがあり、そのヒントはウクライナ戦争で、ロシア兵の大軍、旅団以上の軍団レベルの60万の兵を返り撃ちにした戦いの理解もあります。

 

キエフ侵攻では内線・外線の戦いが用いられ、それは安芸の厳島の戦いとも重なります。

 

キエフでは都心を中心に円を描くように部隊を配置して、ウクライナ軍も内線・外線の戦術を使いロシア軍を大敗へと導きました。

 

すでに2014年のクリミア編入のときにはイギリス軍の訓練下にいたウクライナ軍。

 

安芸の国でも毛利元就の軍が、周防の末晴賢の大軍を厳島へ誘い込みました。

 

毛利は4千。末晴賢は2万の大軍。

 

一般的な社会知識で読むのではなく、しかし一般社会知識でも十分に把握できる戦争になります。

 

毛利が内線側になり、つまり挟撃の戦いの内側を取る作戦のことを言います。

 

挟み撃ちは馬鹿とハサミは使いようと皮肉の言葉まで存在するほど、挟み撃ちの使い方を示唆しています。つまり馬鹿が使うと大軍でも負けるという意味になります。

 

厳島では内線側に立ち、狭い厳島へ末晴賢は誘導されて、そこへ村上水軍が島を囲むことで、今度は逆に外線のスタンスへと移行した毛利軍。

 

この戦いを私は封印して、次郎三郎の教えの道の主の権大納言近衛大将に変換することにしました。

 

しかしそれはもうこちらのサイドでは内線と外線というスタイルで常に作戦が動くのが常識です。

 

そして代わりにそちらを良く言っても、大きく誇張させても、正面攻撃しか手段がないとも把握しています。

 

こちらは常に内線・外線で動き、作戦は常に流動していきます。