マイナスへ堕ちると

マイナスへ堕ちると大抵の餓鬼はカレー推しになり、その傾向はやはり生死が付き物になります。

 

しかし創意性社会では相対性社会のことを示し、相対性社会のことを共存社会と呼ぶような感じでしょう。

 

別に共存社会と命名する必要はなく、単純に永遠なので共存ですねというような感じで私はとらえており、人によっては自由社会でもいいと思います。

 

単純に私は創意性があり相違観点に気づけて、相対性になるので自然と共存だと考えているだけです。

 

その共存性の道筋では永遠が常識なので、カレー止まりになると死期が近くなります。

 

なぜかというとカレーという枠にハマりすぎると危険で、本当にカレーが好きだとほかの味変がありますが、カレーだけというのはゼロ栄養だと述べているようなものです。

 

濃度が変わらない、あるいはカッコつけで濃度の高いガーリック弁当を食べたいけど、カレーじゃないとリスキーだなと感じたとき、カレーを周りに推すようになりますよね。

 

この推しが押しに変化すると危険で、推薦じゃなくて押しつけにしかならず、そのレベルになるとマイナス方向へ走るでしょうね。

 

その場合は戦没者としての誘導がありますが、そのとき本来は納得済みで、生きる価値を見失っていて、周りもその方がいいと感じている段階で、自然と縁が切れます。

 

しかしマイナスが餓鬼へと生まれ変わると、餓鬼社会を構築してしまい、その餓鬼社会でトップを目指すようになります。

 

だから野球選手とかサッカー選手はそういうタイプで、名声と軽い売名行為が主観になり、また芸能人も洋画社会の真似事になり、やはり名声や名誉、そして売名行為が先行するようになります。結果、現実とかけ離れた存在に気づかれてしまい、今までファンとして見ていた選手も馬鹿にしかされないでしょうね。

 

その結果、共存側から嫌われてしまい、そのまま堕ちるしかないでしょう。こちらから見るとそれは面白くて、裏が分かった以上はそれを狙うのが楽しい毎日になります。

 

しかし芸能人を探しに行くわけじゃなく、放っておいても向こうが来ます。しかし顔がテレビと異なりながらも訴えが懇願になっていて、やはり本人の芸能知名度を利用しての懇願だと分かり、本人だなと分かります。

 

その場合は、馬鹿だ。こいつ。お前のテレビ顔も嫌いだし、または裏を知り嫌いになったし、お前その顔なら知らないよで済みます。

 

地獄というのは月へ作るつもりで、そこで自由に行動できますが、自分からかかりますからね。音ブラへ。

 

そのためある者は幽閉へ自分から進み、ある者は自由だけど人が一人も寄り付かないというような生活になりますよ。

 

目の中のスカウターに接続コネクタやケーブルが存在すると思いますが、聴力を失うためのUSBケーブル接続、視力を失うためのBIOS電源起動オフ、そういう形式でマイナス方向へ向かうとどんどんと大餓鬼になります。そして地獄の待遇は自分の望まない形になります。

 

地獄の待遇の好条件が欲しいときは、自分で先に逝くのが常識で、いつまでもこちらに居続けることで餓鬼性はマイナス方向へ向かいます。

 

それでいいならこちらに残ればいいと感じます。

 

今まで拒絶が強かった私ですが、なぜ残ってもいいですよと言うかというと、もう少ししか時間がないからで、実はウォーキング中に家の中の様子をずっと観察してきましたが、もう人が住んでいる家がほとんどない状況です。

 

その確認が取れたので、そのようなプレッシャーとして報告を入れています。

 

だから残された餓鬼は苦しいですよ。