相対性社会の努力

相対性社会の努力は簡単で、死なないので楽しみのための努力をすれば良くて、餓鬼みたいに週休2日で名誉を見出しても無駄ですよ。

 

死神は現実でそれをした場合、名誉じゃなくて誇りとして認識して、それを捨てることで相対性社会へ帰化できますよ。特に私は音ブラ探知があり、それと会話を重ねてきて、考えながら見出してきたので最終試練じゃなくて、相対性社会への自我誘導になります。

 

どうりで17年もかかるわけですよ。私でもその期間ということで、甘く見るなよしかないですね。

 

いくらお人よしを気取っても、ちょっとだけ私がそこへ滞在して、クラブサウンドを小さい音で聞くだけでエイワが削れる様子がよく分かりますよ。

 

昨日も普通の山道を通るとセブンへ行ける道があり、そこを通るにはミカンの畑を通過する必要がありますが、セブンへ行くのにそこを通過中、側溝の中で音がするからうりぼうがまた出たのかなと思い、親を警戒しながら覗くとミカンが何個も転がっていました。

 

別に人間がミカンを刈る様子はなかったのですが、原生林でも同じく、木とかも自我でゼロカット能力があり、自我でスパッとチェーンソーとは異なるキレイな切り口のゼロカットができるので、何個も転がしてその能力の披露がありました。

 

そして餓鬼が2匹チェーンソーを持ち込み、それがばれたら自分らのレベルと比較され恥ずかしいので、その木を切るようなことを考えたんでしょうね。するとその新品のチェーンソーはエンジンがすぐに止まり、私は堕ちたなと感じてそのままセブンへ行きました。

 

するとその2匹がセブンへ来て、私の後に続いてセブンコーヒーを買っていましたが、やはりチェーンソーは役に立たなかったんだなと感じましたよ。

 

大抵はミカンが何個も側溝を転がるよりもうりぼうが側溝を走ったり、アナグマが側溝を走ったり、たぬきがいたりがメインになります。

 

そしてうりぼうがいたら親を警戒するとよく言いますが、私の場合はうりぼうはいつも置いてきぼりで、親の姿は単体でしか確認したことないですね。いつも私に気づくと逃げていきますし、あまり深い山には出ないですよ。

 

平地とか民家のある山道がよく出ます。