鬼滅の刃の布石

鬼滅の刃を第三部の途中まで見た感じでは、もうテレビシリーズを見る必要性がないと感じられる結果になりました。

 

意外性を突いた作品かというとそうでもないと答えが出て、要は最初に煉獄か富岡といった感じの二択を感じるようなストーリがあると分かりました。

 

本作では煉獄が敗北して死ぬことで意外性を突いたシナリオ出発になりますが、すべてを通してみて、第二部では炭次郎たちの活躍で初めて鬼を倒したあたり、よく考えると長編シリーズの方が合うかなと感じましたね。

 

しかしそれを覆すような効果や意味合いにも直面しますが、・・・

 

その短編シリーズへと集約できた理由は、やはり最初から計算という脆さでストーリーを完成させているからです。

 

これは将棋のような世界観で、リボルバーのような成り行きを入れた臨機応変スタイルとは異なります。

 

まず、人間サイドの主役は富岡と不死川になり、不死川は風の使い手ですが、術者のような能力者になりますね。

 

富岡は剣技の優れた才能の有る能力者という感じですが、不死川が譜面を作る役の遠隔系の術者になります。

 

まずは縁壱をバックドアとして無惨と戦わせます。このときに人間サイドの術にはめるためにバックドアを仕込みます。日の神やぐらとして接触して、やぐらなので仏教枠で太陽のやぐらじゃなく、日のやぐらとして韻を無惨に与えて、無惨は日よりも大きな陽の存在のラーなどにつながらないように月の布石を用います。

 

月を布くことで、太陽の神などを遠ざけていると分かりますが、月の枠の日本に舞台を置いて閉じ込めるのが目的として人間サイドが刷り込みを入れます。

 

無惨が月を布きますが、刷り込みを入れたが縁壱で、日の神として太陽の韻を踏み、無惨が罠と気づかずに日をそのまま受け取り、そして月で封じる動きへと出たと分かります。

 

このとき月に術式を入れて上弦と下弦を入れますが、月の西側が上弦として枠組みにしています。しかしこれは本来、アメリカなどから見ると日本のその月の西側は下弦になるのが、地球の形になります。

 

これが布石であることが分かる理由で、将棋のような盤上ということになります。

 

ようは術式を入れて作っていて、ルールは自分勝手という感じで、この世界に入り込み、この世界で挑戦を受けてしまう必要はなく、この世界出た戦う必要性のなさを私は感じやすいです。

 

私はアメリカと同じで臨機応変で対応するべき観点が多いので、狭い枠へ入るよりも、月の布石の外から攻撃して破壊するのが得策だと感じます。

 

不死川と富岡が今の時代までを引っ張り、そして月の布石を相手に作らせ、逆に人間サイドが太陽の神の枠だということを隠していることが分かります。

 

あえて月の布石などを布かせて、その枠で戦うことでこちらが太陽の神だと隠しています。