えっとな、戦国史において本来の骨付きの部分を入れんといけんけえ、そこを考えたんやけど、まず第一に前田慶次が当然怪しいんや。歌舞伎モンやけえ。
ほいやけえ、上杉を調べたんやけど、上杉の家系図がおかしいのに気づいたんや。
上杉はもともと長尾為影が謙信の父で、佐渡島の武将なんや。越後におったけど、戦争で敗走したりで佐渡がメインになるんや。
ほいで変わった一族で、家督以外の子孫は、その後の家督決定のときにも名前が出ることはないんや。一回きりなんや。家督のチャンスがあるとしたらな。
そして為影の嫁は上杉家で、その上杉家が次代の家督継承に名乗りはできず、長尾姓で家督継承名乗りになるんや。
ほしたらな、謙信死後の家督継承の時には家督争いにまで発展しながら、景勝の名が長尾姓にないんや。上杉景勝な。もともと長尾姓で、謙信の甥やけえ、上杉景勝で秀吉の五大老や。
せやけえ、霞になるんや。
家督争いがないけえな。ほいで今度は、謙信に子孫がおらんけえ、急遽、長尾姓の景虎を入れ取るんやけど、その景虎は、謙信の直血にならんやろ。子孫がおらんけえな。
ほいやけえ、彼が家督を継ぐわけにはいかんけえ、霞の景勝が勝ってしもうとんや。
そしたら謙信死後は全部が霞やわい。
ほいやけえ、秀吉の五大老もやろ。
謙信が死んで景勝で、景勝討伐に柴田修理の亮やけえ、柴田がおらんやろ。要は手取り川の戦いではあ、死んどるわいの。
ほいやけえ、秀吉もそんときのクーデターの謀反人として処刑になるやろ。
せやけえ、賤ケ岳いうんがもう霞なんや。
せやけえ、北条への小田原攻めで小田原の戦いの記譜が秀吉の取った作戦やのうて、そのまま信長やったらこれや。いうことになるんや。
ほいやけえ、あとは次郎三郎が内府としてこれを書物にしたんやろうな。本能寺の変で終わりなんや。
ウクライナ戦争も同じや。今はもう時代、歴史の創作段階や。